審査員特別賞受賞作品①
いじめは弱い子がする
                          清水 健一

 「A君の勉強についてアドバイスを」と近所の方から依頼された。中学二年のA君は塾にも断られて、このままでは高校に行けない、と家族は途方に暮れているという。退職して時間のあった私は快諾した。聞いてみると、小学三、四年の頃いじめに遭った、数人の同級生に揶揄われ続けて、パンツを脱がされたこともあったという。以後、やる気をなくして、現在は、夜は対戦型ネットゲームにはまって、昼は授業中ずっと寝ている。そのため、数学は小学校中学年レベル、英語は簡単な単語も書けなかった。しかし、教えていくと、国語に関しては難しい本もどんどん読んで高校級の力を持っていることが分かった。幼時から大事にされて良い本を与えられてきて、いじめ前はかなりの学力があったと思われた。いじめの後遺症の大きさに、私は慄然とした。

 私がかつて奉職した高校でも何度もいじめ事件が起こった。一年生の担任となった連休明けの時である。放課後、二人の女子生徒が職員室に来た。いじめられている、というのだ。入学後からクラスの女子には幾つかのグループができていたが、その中で一番ハジけている五人グループのメンバーであった。グループの二人が他の三人をいじめるようになった。初めは皆でジュースを買いに行っていたのが「買ってきて」と頼むようになり、「お金を貸して」さらに「おごれよ」などとエスカレートしていったという。私は、いじめはこのように発生するのだ、そして、このようにエスカレートしていくものなのだ、と目を開かされる思いであった。二人は「グループから抜けていじめられないようにしたい」と望んだ。私は「いじめは弱い子がするのだ」と前置きして、次のようにアドバイスした。

 弱い子が、もっと弱い子を支配しようとするわけだから、最初はこわごわ接する。うまくいくとだんだん強く接していくようになる。君たちのケースはその典型だ。だから、「我慢すれば収まっていく」と思うのは大間違いだ。どんどんエスカレートしていって、最後はとんでもない要求になっていく。以前、何十万円も脅し取られたいじめ事件があったが、何十回何百回といじめを受けたら、最後はそうなっても不思議はないのだ。必要ならいじめる二人を徹底的に指導するが、君たちが弱いままだといつまでも隙を狙われることになる。だから、根本的な解決は、君たちが強くなることだ。なるべく早く、断固断りなさい。早ければ早いほど良い。いじめるのは弱い子なのだから、断固とした意志を見せればビビるに決まっている、と。そして、「明日思い切って話しなさい」と勧めた。

  しかし、翌日は二人とも欠席してしまった。電話すると、「どうしても決断できない」と言う。「君たち二人は理解し合っていて孤立していない、というのは大きなメリットだ。だから、今日は学校に来なくてもいいから、二人で会って気持ちを合わせて、明日は言えるように決意を固めなさい」と勧めた。翌日は二人とも出席した。心配していると、職員室に来て「二人で話しました。そうしたら、わかった、と言ってくれました」と報告してくれた。紛糾するなら、私が出ていって厳しく指導しようと思っていたが、その必要はなかったのだ。その後グループは解体したが、同級生として普通に付き合っているようだ、と安心した。この件がすぐに解決したのは、ひとえにかなり早い時期に申し出てくれたお蔭である。しかし、残りの一人は学校に来なくなっていた。連絡すると、「いじめは受けていない」と言い張った。誰とも人間関係ができていなかったので、それ以上は説得できず、そのまま退学してしまったのが残念であった。

 親友、と思っていた生徒間にも上下関係ができて、いじめられるケースもあった。三学期が始まっても欠席を続ける生徒がいた。電話すると「赤点の宿題が終らないから」と言う。その学期に落第点を取った生徒は、終業時に赤点科目の課題を出して、次の学期の始業日に提出することになっていた。しかし、その生徒は、一つも赤点を取っていなかったのである。「誰かの課題を代わってやらされているのだ。それが完了しなかったので学校に来られないに違いない」と思った私は、すぐに母親と連絡を取った。「息子さんは、友人の誰かにいじめられているのでは」と問うたが、心当たりはないという。そこで、お母さんならできるから、と「息子さんの机の引き出しなどをすべて調べて、友人の名前の書いてある宿題帳を見つけてほしい」と依頼した。
 
 それはすぐに判明した。彼の一番親しくしている生徒であった。呼んで問い詰めると、すぐに白状した。最初は対等な付き合いであったが、二人で帰る時に荷物を持たせたり、最近はおごらせるようにもなっていたという。赤点を幾つも取って大変だったので、一部を手伝わせたというのである。すぐに保護者を呼んで自宅謹慎の指導を加えて、その期間に赤点の課題をすべてやらせることにした。そこで、「彼がばらしたわけではないので、逆恨みはするな。もし彼を一発でも殴ったら傷害事件になるから、学校だけでは収まらない。警察に通報してお前は逮捕される。だから、おまえの方で心を尽くして謝って、仲直りしてもらえ」ときつく指導した。特に、いじめは犯罪だ、ということを強く叩き込んでおきたかったのである。以後の友人関係は、表面上は以前通りになった。しかし、加害者がすぐに白状したのに、被害者の生徒は宿題をやらされたことを最後まで親にも教師にも認めなかったのである。被害者が友人関係を壊したくないと考えたからか、と私は推測した。

  ある時、床屋さんでたまたまいじめの話になった。店主は「自分も中学の時いじめられたが、親にも先生にも言わなかった」と語った。「なぜ全部話して対処してもらおうと思わなかったのか」と問うと、「親も先生も完全には信頼できなかったからだ」と回答してくれた。対処はしてくれても、中途半端だと余計にいじめが酷くなると心配した、というのである。今度のいじめ事件も、学校や親に完璧に守ってもらえる、という信頼感が今一つなかったのだ。どのように話してどのように解決していくのか、納得するまで具体的に話してやる必要があったのだ、と私は反省した。

  軽い段階のいじめは、あまり問題にされずに、反省することも少ないようだ。「授業中に漫画を描いて、他の生徒に回していたのを取り上げた」と担任の私に連絡があった。クラスの無口な生徒の顔を戯画的に描いたもので、宇宙人のように奇妙な絵であった。描いたのもおとなしい生徒だったので、もっと弱い生徒を揶揄おうとしたのだ、と私は思った。呼んで聴いてみると、まったく悪びれずに、「授業中に回したのは悪かったが、ちょっとふざけただけだ」と開き直った。「これはいじめだぞ」と追及すると「クラスで孤立しているあいつを一番面倒みているのは自分だ」などと反論してきた。私は「よく考えろ。俺が彼の親でこれを見たとしたら、お前の家に怒鳴り込んで土下座させるぞ」と怒った。そして「十分に反省するまで教室には帰さない」と生徒指導室に閉じ込めておいて、昼食もそこで食べさせることにした。こうした指導は、行き過ぎだ、と非難される可能性もあったが、あえて強行したのである。生徒指導部と学年には報告だけで相談はせず、あくまで担任の責任ということで強行させてもらった。相談して会議などしていては後手に回るし、軽微だからと無罪放免に決定されては教育的ではない、と思ったからである。もう一つは、加害生徒の保護者には、よく話せば理解してもらえるという自信があったからである。この生徒も家庭的な問題を抱えていた。父子家庭であったが、最近父親が再婚したために邪魔にされて、祖母の家で育てられるようになっていたのである。この祖母とは何度か話していたので、説明すれば必ず理解してもらえる、という自信があったのだ。午前中は頑なな態度だったが、何度も話していくうちに神妙になって、最後には泣いて謝ったので許した。

  このように軽微なケースは対処が難しい。加害者の親が庇うような場合は諦めざるをえないことも多い。けれども、女生徒の例のようにいじめは必ず軽微なことから始まって必ずエスカレートしていく。だから、軽微なうちに厳しく対処することがいじめをなくす最善の方法なのである。そのためには、「どんな些細ないじめも許されない」という常識を作らねばならない。あくまで反省を迫って「二度としない」と約束するまで許さない、というような強い指導が絶対に必要なのである。
 
 A君は母親と祖母が絶妙なタッグで守っていたので、絶対の信頼感を持ってきたようだ。私は、徹底的に基礎力をつけることを目標に毎週勉強を見ていった。A君は次第に力をつけて意欲的になり、希望して塾に行くようにもなった。こうして志望の高校に合格を果たしたので、一年半にわたっての私の指導は終了した。私は、彼の新しい門出に当って最後のアドバイスをした。
 
 もし高校でいじめに遭ったら、必ずお母さんとおばあちゃんに言え。そうすれば、自分も完全解決のために、お母さんおばあちゃんと一緒に力を尽くして完全に守る。一度でもいじめを受けたら、すぐに対処するのだ。我慢していたら必ずエスカレートするから、状況は悪くなる一方だ。だから勇気を出して即座に対処するのだ。いじめる子は弱い子なのだから、毅然と対すれば恐れて引くのは間違いない。もし殴られるようなことがあったら、その時は「しめた」と思え。それは犯罪なのだから、すぐお母さんおばあちゃんと一緒に学校ではなく警察に行け。いじめた者は傷害罪で逮捕される、と。

 翌年行ってみると、A君は「いじめられることはまったくない」と断言した。かなりの自信と余裕をもってきたな、と私は安堵した。



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